林由郎とは

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林 由郎 Yoshirou Hayashi

 
【林由郎とは】

1922年生まれ。千葉県我孫子市出身。わずか16才でプロとなり1948年の関東プロ優勝を皮切りに、日本プロ4勝、日本オープン2勝を含む12勝をあげる。自らダブルグランドスラマーという華やかな実績を残しながら、6人の賞金(女)王を育てるなど”キングメーカー”としても有名。青木功、尾崎将司、尾崎健夫、尾崎直道、飯合肇、海老原清治、福嶋晃子らを育てる。ゴルフ番組などでも指導、解説に活躍。

mane.jpgどんな分野にもフロンティアがいる。
まだ未開のその大地におそれること無く踏み出した人物。

林由郎氏はまさに戦後日本ゴルフ界のフロンティアであり、第一次ゴルフブームの中心にいた。いま、私たちがあたりまえの様に気軽に楽しむことができるゴルフも氏の手探りの冒険なしにはあり得なかったといっても過言ではない。
時は1930年代、第二次世界大戦直前。貧しい農家であった一家をささえるために、小学校を卒業した由郎少年は聞いたことも無い「キャディ」という仕事につく。
そこからすべてが始まった。

■「よし、やってみんべぇ」
当初、由郎少年にとってはキャディの仕事は大人顔負けの日銭が稼げる仕事。それ以上のものではなかった。だが、やるとなったからにはベストをつくす。いち早くボールを発見しお客さんに喜んでもらうために一生懸命、客の構えとボールの方向をよく見ていた。(この想像力と判断力が後年かけがえのない財産になる)

毎日、目の前でプレーを見ている内に自然の成り行きでゴルフに魅せられていく。そうなるとキャディの仕事の意味は一変する。客のスタンスの取り方、グリップの形、テークバックの上げ方、バンカーショット。目を皿の様に観察し、練習する毎日。

持ち前の勘の良さをいかんなく発揮した林少年の生き生きした姿が思い浮かぶエピソードがある。

コックがオムライスを作る手元を見ていた少年は、そのフライパン返しの手首の返し方が、バンカーショットの上手い客の手首の動きに似ていることを発見する。

「似ている・・・」

以来これが由郎氏の定評のあるバンカーショットとなる。バンカーはピンチでなく、チャンスという氏の自信の礎となったのだ。

そしてキャディトーナメントを経て16才でプロテストを受ける。
貧しい農家の息子が当時「貴族・金持ちのスポーツ」と思われていたゴルフのプロになるなど前代未聞の出来事だ。そんなことできないかもしれない。

「けど、やってみんべぇ」

結果は見事一発合格。こうして氏の長きにわたるプロゴルファーとしての人生が幕を開けた。

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